R i n g - L o n g - P h o t o s  S o u p S o u p S o u p  G a l l e r y

今日は何の意図もなく書いていきたいと思います。慣れないブログ記事作成について、いろいろ思うところがあります。今までの自分自身は、好きなことを好きなようにiphoneのメモに書いて自分なりに響くものに添削して、点を付けたり丸を付けたりと自分自身の中のこだわりを徹底的に仕上げてきたつもりです。自分自身が過去を振り返る記録的な文章ばかりです。

これ以上にないな。

と思える程度の文章に仕上げてきてはいたのですが、結局それらの文章というのは、誰にも響かないような、すごくパーソナルな文章になっていました。

ブログを書くにあたって、第三者が読むことを想定して書き始めてはいるもののなかなかまとまらない。そういった記事を上手く書こうとしても、時間が過ぎるばかりで、本当の納得できる構成にできていない。根本的に、文章を学ぶ必要があるとも思うが、これについては学ばなくてはいけない気がしない。セールスライティングを学び、パソナ、アイドカスなどの構成概念を参考に考えてみても、慣れないせいか、さっぱり面白くない。これって言い訳な気がするけど、目的が何なのって話。ブログという媒体を使って、私は一体何がしたいの?って話になってくる。

自己紹介したいのか、自己満足なのか、稼ぎたいのか、そもそも何のためにこのブログを始めたのか。

これらの目的の深堀が全くできていない状態にあるってことなんだよな。

つまり、もっと内観しなくてはいけない。

自分自身に訴え掛けたいと思います。

 

何が必要で、何が不必要か。

 

どんな文章が書きたいのか。

 

愛のある文章

ためになる文章

誰かの役に立つ文章

誰かを支えられる文章

誰かに寄り添える文章

誰かに届けたい、メッセージとしての文章

誰かの生活に少しでも良い影響を与えられる文章

誰かが、死にたいと思った時に、助けてあげられる文章

誰かが落ち込んでいる時に、励まして、勇気づけてあげられる文章

誰かが焦っている時に、冷静に判断できる自分を取り戻させてあげられる文章

誰かの日々の不安を少しづつでも、取り払ってあげられる文章

優しさのある文章

たくましさを感じられる文章

生きる力が湧いてくる。そんな文章を書くことができるようになりたい。

 

すごくシンプルに、誰かのために文章が書きたい。そこに着地しました。

昔から、音楽が好きですが、とりわけ歌詞が気になっていました。これも文章です。

歌詞が好きになれない曲は、あまり好きになれなかった。逆に音楽はちっとも好きじゃないけど歌詞が好きなら、そのアーティスト自体を好きになっていた。そういう傾向から、自分自身を分析するに文章から読める、人間の像、つまり想像する先にいるその人物へのあこがれがあるんだと感じています。ただ単純にビジュアル的に好きになることも大いにありましたし、今もありますが、基本的に文章、歌詞、人間性、人生観、言霊、そんなものに興味があるのだと思います。

かつて、自分自身がやっていたバンドがあります。現在活動は全くしていません。ですからライブを見るばかりの姿勢になっています。他の人のライブを見に行くたびに、衝動的にライブがやりたくなります。ライブがやりたいという情熱は何なんでしょう。実際、行動に移せないし、活動したければしていると思うのですが、なんだかんだやらない理由は、仕事と家庭の両立。仲間との実質的な距離が遠くなってしまっている状態に相まって、自分自身がそこに情熱を注げていない、つまり燃えていないからだと思っています。

自分自身が、ライブをやって、みんなの知ってるような素晴らしいアーティストならまだしも、そんな上手でもない人のライブを聞きたいのか?というそんな需要の無さに白けてしまう心があるように思います。それでも場を作って叫ばなければいけないメッセージ。私は白けた人間なのでしょうか?現時点での自分自身が放つそれらの内容は、自己欲求を満たすためだけの内容なんじゃないかなと今は思っています。巷で行われているライブすべてが自己欲求を満たすためだけだ。と言っているのではなく、私の場合、場面で、私もやりたい!と錯覚してしまっているんじゃないだろうかと思っています。ライブをやれる時がくればやるのだとも思っています。ライブ活動をバカにしているのではありません。たくさんのアーティストの方に数えきれないほど支えてもらっています。めちゃめちゃ感謝しているからこそ自分自身については懐疑的になってしまっているのかもしれません。本当に音楽がなかったら、生きていけなかったんじゃないかなと感じています。

自然と涙が出たライブも見たことあるし、本当に心から行きたかったライブってのは、行ったその日に死んでも構わないと思いましたし、その後の人生を考えると、あの時死ぬべきだったなと感じた夜もありました。現在は、日々、幸せをかみしめて生きているので、そのようなことは考えに至りませんが、その時はそういう風に感じる人生でした。今は家庭をもってオキシトシン的幸福を日々感じながら生きていけています。

すらすらすらすら書く、そして修正を加えていく、この類の文章に嘘偽りは、今のところありません。一体何を書いているのか、今書いている文章自体が、私の小さな自己顕示欲であることも理解しているし、私という人間性を知ってほしいという健気な欲求なんだろうと感じています。いやらしい書き方とも考えられます。

ただこれは、だから下衆だとか、そのようにののしられる必要もないと思います。要するに文章なんて、視点を変えれば、ただの文字の羅列であって読むも読まないも読み手次第だという側面をもっています。下衆さや、いやらしさを感じる心に、人の過ちが隠れています。そう言って防衛網を張ろうとするのが私自身の弱さです。そしていやらしさです。

弱い人間は、このようにして、何かにつけ言い訳をして、できない理由を、しなくていい理由を探します。言い訳じみた文章を並べ、やっぱり自分しか読まない。つまらない文章なんだ。私のことは私しかわからない。みんなそうなんでしょ?へっ。的なもんで、閉じておしまいです。”明日からまたふてくされた日々の始まりです。”と、ここまでが一部始終です。実際、こういうのには飽きてしまいました。

そうして、セールスライティングなどの目的に特化した文章が産まれるのです。誰かのためを思った文章。有用な文章というものの構成の仕方。”自己を封印した文章になっている”、、、と感じるのは、間違っているのではないでしょうか。私自身の文章から読み解くに、懐疑的な部分を排除してしまえばすごくシンプルな内容になってきますし、自分自身に固執しているからこそ、懐疑的な姿勢になってしまい、しどろもどろしてしまうのでしょう。そういうのは人間ですから嫌いじゃないです。世にある有用な文章というのは、そう書かれるべくして書かれていて、あなたに響いた時点で、どの文章よりもあなたのためを思って書かれた文章になっています。根底にあるのは、やはり、心の奥底にある愛です。これらの文章に、いくつ出会えるか。たくさん出会うことができればきっと、それはあなたの文章や、言葉にも影響をたくさん与えるでしょう。本当に素晴らしいと感じる文章に、出会えたなら、それらを参考にして、自分の文書や発言にフィードバックしてみる。これです。そういう意味で、私はもっと読書をして、文章を学ばなくてはなりません。未熟でありながら、文章を書かなくてはいけない。土俵に立ってこその経験。ここまでお付き合いいただけたことに、ここまで読み進めていただいたことに深く感謝いたします。

私にとってブログとは、今後の人生を深めていくためのツールなんだなと認識出来ました。

かっこよくいうとこうですが、実際はライティング稽古場といったところでしょうか。

このブログのテーマはSOUP。

コトコト煮込んだスープのような、

味わい深い

うま味のあるものにしてゆけたらなと

改めて思いました。

 

今日が一番若い日です。

文章や言葉は、核兵器みたいなものです。使い方を間違えれば大惨事を引き起こしますし、いい使い方をすれば、世界を変えてゆきます。これは実生活中でも実感できる真理です。言霊という概念がそれにあたります。

 

大切な人々と暮らし、思いやりのある言葉と文章を使い、

より良い一日、より良い生活を送れることを切に願っています。

 

それではまた。

 

悪いものは吐出して健康になろー! 

 

 

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