仕事をしていると、集中が切れて注意力散漫になってしまうことって、ありませんか?
原因は、仕事がうまく進まない、これで本当にいいのだろうか?などの迷いのある時、はたまた、単純に空腹であったり、家族トラブルなどが続いたあとの寝不足であったり、慢性的な不安感をもっていたり。
人によって、様々な要素があることと思われます。



現代社会の傾向
現代では不必要な情報が非常に多く、知らず知らずのうちにそれらに呑まれ、めまいがするほど翻弄され、感情が揺さぶられることが多くなっているのではないでしょうか?。
どれを優先的に処理すれば良いのかわからなくなり、今やっていること自体も、正しいのか、正しくないのか、まともな判断ができなくなる状態の方も少なくないようです。
そんな、「人間が生きている限りぶつかる不安」や、「現代人が直面する情報過多の荒波」これらを乗り越え、「安定した心で生活を送る」という当たり前のことが、なかなかむつかしい世界となっているように感じます。
私自身も、もちろん、様々な不安感や、情報に翻弄されるような生活を送っております。
どうすれば、この不安な気持ちは解消されるのだろうか?
どうすれば、ついつい見てしまいがちな、無駄な情報に翻弄されずに済むのだろうか。
そのようなことを考えるようになりました。
いい加減、振り回されるのには飽き飽きしていました。
自分自身には、軸がないのだろうか?
そんな風に、自信さえも奪っていくこれらの環境に打ち勝つべく、様々なことを勉強し、取り入れ、自分の心の声を文章化していくようにしてきました。



自分の気持ちを言葉にしながら新たな発見へ
自らが綴る心の風景から、見えてくる自分自身というもの。
これらに気づかされることもあります。思ってもいなかったことが、自分から導きだされたり、ヒントを得たり、発展性のある考えに至ったりなど、模索することの意義を日々、深めながら、仕事に、生活に、貪欲に探究をしていたところ、私自身が書いた内容ではなく、とあるネット記事に出会いました。
禅とは「こうあるべき」という社会(他人)が作りだした、規制や論説にもとづくものではなく、個々人の中から生まれた意志や考えによる行動だという。
知識で得た「こうあるべき」が、いつの間にか自分の中の「こうあるべき」にすり替えられると、それに囚われて身動きが取れなくなり、生きづらくなってしまう。
大拙翁も、はっきりと言い切っている。
「禅とはひとりひとりの実際の体験であって、分析や比較によって得られる知識ではない」と。なにやら小難しい話になった。つまるところ、他人の意見ではなく、自分意志で決定、行動せよと言っているのだ。
それが禅を体得することになるのだと。
引用:リンク
禅という考え方。
「禅ってそういうものなんだな」とスッと体に入ってくるような、腑に落ちる感覚がありました。
翻弄される瞬間があり、振り回されまいと必死で立ち向かう自分があり、その双方でありながら、何とかかんとかここまで生きてきたというのは、私だけの経験ではなく、あなたにも言えることではないでしょうか。
実体験を元に、自分自身が構築していく。
、、、もうすでに、やってることでした。
「なんや、やってることは正しいんだ。」という、ある種の安堵感がありました。



武道 ”動く禅”
そこから禅という考え方に興味を持ち、調べを進めていくと、武道の中には、「動く禅」と呼ばれるものがあるようでした。
私は、その中でも「居合道」に興味を持つことになりました。
元々、日本刀や、剣といったものに興味があり、かっこいいなー、触ってみたいなーという願望もあありました。動画など見て、よくよく観察しているうち、居合道がなぜ、動く禅と呼ばれるのかを考えるようになりました。
居合道の動きの中には、場所に対する礼のはらい方、刀に対する礼のはらい方、それらが流派ごとに多少の差はありながら、一通りの「型」があるようでした。
抜刀、納刀、居合そのものの技、様々な状況を想定した型というものが存在しました。
これらの型、と呼ばれるものを、私は、いまだかつて、体験したことがなく、これらをマスターすることで日々の生活に活かせるのではないだろうか?と考えるようになりました。
不安感、焦燥感、頭の中が整理できない翻弄された状態に陥る瞬間。
これらに対して、居合の呼吸、無駄のない作法、型、というものが、効果を発揮するのではないかという感覚的予見がありました。
少し表現が難しいですが、
座禅は静かに座って瞑想し、境地に至るイメージがあるのと対照的に、
動く禅、居合道は動きの中に身を置きながら瞑想をし、境地に至る。
そういった感覚は、きわめて静かに、動く、動揺のないもののように感じました。



変化を求めて
これはきっと、自分自身に何か変化をもたらすには、いい方法に違いないと思えましたので、近所に居合道を教えてくれる道場はないだろうかと思い、探してみたところうまく出会うことができましたので、見学を経て、入門させていただくことになりました。
小人数の倶楽部形式の格式ばった様子はない道場でした。
私のような礼儀の基礎もない者でも、温かく迎え入れてくれるとてもいい方々に出会うことができました。
何度か、稽古をつけていただく中で、回を重ねるたびに、予見していたことが、確信に変わっていっております。間違いなく効果があるぞという感覚です。
今後、さらに居合道について、触れ、新たな発見や、ひらめきがあれば書いていきたいと思います。
まとめ
居合道は、
鍛錬することによって、無駄な動きをなくし、
心の平穏を手にすることができる方法として、
期待値はかなり高くなっております。
自分自身のため、はたまた、
自分の周りの方々に迷惑をかけないために、
自分自身をコントロールする力を、しっかりとつけて、
地道に頑張ろうと思います。
今後も実体験から学び、自分の人生にフルコミットしていきたいと思います。
追い求める人生のあるべき姿。
こればかりは自分自身しか見つけられない。
何か参考になったことがあったならば幸いです。
完読いただきありがとうございます。
今日も元気にがんばろー!


